東アジア植物記 サクラの旅路[その13]山岳系サクラ群ーマメザクラ

陽樹であるサクラは、常緑広葉樹林や針葉樹林が形成する閉鎖林冠を避け、谷筋や崩壊地などの木々が途切れて光が差し込む場所――いわゆる、ギャップ(gap)に定着してきました。その一部はさらに森林限界付近の疎林まで進出し、これが山岳系サクラの系譜となりました。

山岳系サクラは、高山の厳しい寒さに適応する耐寒性を獲得し、亜熱帯起源のサクラが北方へ生息域を広げる契機ともなりました。また、遅い春と短い夏に対応するため、ヤマザクラなどに比べて先花性・早咲きの性質を持つようにもなっています。さらに最終氷河期には、東シナ海に出現した山岳回廊を伝って北上し、その一部が日本列島へ到達したと考えられます。

日本列島が南北方向に連なる山地によって構成されていたことも、これら山岳系サクラ群の移動を容易にしました。そこには多様な生育環境や隔離条件、さらには微気象が存在し、絶滅を回避しながら種分化が進む条件が整っていたのです。

このようにして原始的形質を持つ山岳系サクラ群は、日本列島の地理的・気候的条件に適応しつつ、多様な系統へと分化していきました。

4月上旬、日本の山岳系サクラであるマメザクラを求めて、富士山周辺と溶岩流の上に成立した樹海を旅しました。それらしい木はありましたが、まだ蕾は固く、時期が早過ぎたことを悔やみました。それでも、「よくあることさ」と再訪を決意しました。

富士の樹海は、864年の貞観(じょうがん)大噴火によって流れ出た溶岩の上にできた、極端に土壌の薄い森です。カビやコケが作り出した有機物の層の上にシダが生え、さらに落ち葉や根が重なり合ってわずかな土壌が形成されました。

こうした限られた生育空間――いわば点在する「パッチ(Patch)」を頼りに樹木が生息する土地が広がっています。

帰路、わずかに標高を下げた原野で、白い花をぽつりぽつりと付けるサクラが目に飛び込んできました。それは、この地域で「フジザクラ」と呼ばれるサクラの若木でした。

マメザクラ

マメザクラPrunus incisa(プルヌス インキサ)バラ科サクラ属。富士周辺に多く生息することから、「フジザクラ」とも呼ばれています。このサクラは、火山活動によって形成された裸地や崩壊地、乾燥した尾根筋などを好み、火山性の山地に強く片寄って分布するのが特徴です。

分布域は、この富士周辺に限らず、箱根、丹沢、伊豆半島、南アルプスまで及び、日本に固有種のサクラとされています。

マメザクラは樹海の奥には見られず、まさにサクラらしく林道脇や道端など、森が途切れて光が差し込む場所に点在していました。

この地域では土壌中の養分が乏しく、根を深く伸ばせないためか、マメザクラは樹高1.5m程度から花を咲かせ、成木でも3m程度にとどまるようです。

マメザクラの種形容語のincisaとは、「鋭く切れ込んだ」「裂けた」という意味のラテン語で、葉の鋸歯(きょし)の特徴を表します。

命名者は、カール・ピーター・ツンベルク(Carl Peter Thunberg、1743~1828)です。長崎県の出島を拠点としていたツンベルクは、自由に野外に出られず、マメザクラを十分に観察できたとは思えません。おそらくは、協力者によって採取された標本をもとに、このサクラを観察して命名したのだと思います。

しかしマメザクラの最も顕著な特徴は、「鋭く切れ込んだ葉の形状」ではありません。むしろ注目すべきは、その葉の小ささです。成木で十分に展開した葉であっても長さはわずか2〜4cmほどにしかならず、サクラ類の葉としては異例の小ささなのです。

マメザクラの果実

どの文献を読んでも、その由来は「木が大きくならず小さなサクラゆえ、花が小さいこと」と書かれています。確かに植物体は小型ですが、タカネザクラの方がより小型のサクラです。

ではなぜ、このサクラの和名がマメザクラと呼ばれるのでしょうか?

観察を続ける中で、私はマメザクラが付ける特別に小さい8mmほどの果実に注目しました。和名というものは、往々にして現場で付けられるものです。この豆のような果実こそが、「マメザクラ」という名の由来ではないか――そのようにも考えられるのです。

富士山周辺で成立したマメザクラですが、とりわけ小さな果実ゆえに、小型の鳥でも容易に飲み込めます。つまり、鳥による種子散布の効率がよく、長距離の移動による拡散もできたのでしょう。

キンキマメザクラ

こうして富士山周辺にとどまらず、本州中部の山岳地域や北陸などへと分布を広げた一群があります。それが、キンキマメザクラPrunus incisa subsp. Kinkiensis(プルヌス インキサ サブエスピー キンキエンシス)バラ科サクラ属です。

この変種は、オリジナルのマメザクラに比べると、葉が4~6cmとやや大きく、葉の先端が長く伸びるのが特徴です。

タカネザクラ、チョウジザクラ、マメザクラ、さらにその変種も含む山岳系サクラは、いずれも共通して花を下向きに咲かせます。一方で、ヤマザクラなどのサクラは、横向きに花を咲くことが多く見られます。この形態の違いは、訪花昆虫の種類の違いによるものだと思います。

ヤマザクラは、比較的遅咲きで、ミツバチの活動が活発になる気温になってから開花に至ります。ミツバチは、活動温度がやや高い環境で、上向きと横向きに咲く花を好み、下向きに咲く花には訪れにくいのです。

山岳系サクラは早咲きです。しかし、山地では気温の上昇が遅く、花が咲く時期にミツバチの活動は芳しくありません。その時期に比較的低温でも活動可能な昆虫として、主役になるのがハエの仲間であるハナアブ類なのです。

ハナアブ類は下向きの花を好み、13~18℃でも活動が可能です。こうした小型の昆虫にとって、山岳系サクラの花は、内部に入り込みやすく、風雨を避けながら体温を保つ場としても役立つと考えられます。

2cmほどの白い花を下向きに咲かせるマメザクラ。目いっぱい花弁を広げるそのひたむきな姿は、かわいらしさとけなげさが感じられます。

このマメザクラに似た形態を持つサクラは、大陸にも台湾にも見当たりません。横断山脈に起源を持つ山岳系サクラ群は、さまざまな形質を備えた「キャラバン隊」のような存在として、氷河期に日本を目指して移動してきたはずです。そして日本列島は、その長い旅路の終着地でした。

そこにたどり着いたサクラたちは、解散してそれぞれ別の道を歩みながら、日本の山岳系サクラへと姿を変えていった――そのようにも考えられます。

その旅の途中で、別れたり、混ざり合ったりして旅を続けてきたのでしょう。そのどこかで赤いガクを持つサクラとも交歓があったのだと思います。その面影を私はマメザクラの花の中に見たのでした。

次回は、『サクラの旅路[その14]旅路の果てに』です。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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