東アジア植物記 江戸時代と花菖蒲[その2]

江戸時代は、身分の違いを超えて園芸が広く楽しまれた時代でした。武士から町人、職人、農民に至るまで、多様な人々がそれぞれの趣向で植物を育て、その関心は植物が見せるさまざまな“変異”にも向けられました。

葉に現れる斑(ふ)入りや覆輪、花弁のわずかな色合いの違い、形のゆらぎ――さらには、時折あらわれる奇形にまで、人々は注意深いまなざしを向けました。こうした選別へのこだわりと繊細な美意識、そして日々の観察の積み重ねが、江戸の園芸に独自の深みを与え、世界にも類を見ない園芸文化を形作りました。

ハナショウブもまた例外ではなく、このような文化的背景のもとで、数え切れないほど多くの品種が作り出されてきました。

ノハナショウブ

現在見られる多様な形質を持つハナショウブは、いずれも野生のノハナショウブをもとに育成された園芸植物です。

ノハナショウブIris ensata var. spontaneaアヤメ科アヤメ属。属名のIrisはギリシャ語で「虹」を意味し、種形容語のensataは「剣のように鋭い葉」を表します。変種名のspontaneaは「自然に生じた」を意味しています。

一方、園芸植物としてのハナショウブの学名は、Iris ensataです。学名上では、ノハナショウブが変種と位置付けられて、派生的なハナショウブが本源的に扱われているように見えるので、違和感を覚えます。

このような分類は、次のような経緯によります。ハナショウブに学名を付けたのは、カール・フォン・リンネ(Carl von Linné、1707~1778)の弟子であるカール・ピーター・ツンベルク(Carl Peter Thunberg、1743~1828)でした。彼は長崎県の出島に滞在していた際、すでに園芸的に栽培されていたハナショウブを観察し、先に学名を与えました。

その後、ハナショウブの原種にあたるノハナショウブについて、日本の牧野富太郎博士がIris ensata var. spontaneaという学名を与えました。

青森県八戸市で見かけたノハナショウブは、台地から海岸へ向かう傾斜地に淡水が染み出し、帯状に広がる海岸草原に生育していました。ノハナショウブは、冷涼で湿った草地に生える植物で、日本では北海道から九州北部にかけて分布しますが、四国・九州南部・南西諸島には自生しません。

いくつかの原生地を訪ねましたが、大規模な群落はむしろ少なく、湿った草地に細く帯状に連なる姿が典型的でした。

ノハナショウブは、日本固有ではありません。ロシアのアムール川周辺、沿海州(えんかいしゅう)、樺太(からふと)、中国東北部、朝鮮半島に広く分布し、東アジア北部の冷涼湿地帯に多く生息しています。そうした広域に分布するノハナショウブですが、園芸植物としてのハナショウブが作り上げられたのは、東アジアの片隅に位置する日本列島だけでした。

カキツバタ

ハナショウブとよく混同されるのがカキツバタです。カキツバタIris laevigataアヤメ科アヤメ属。種形容語のlaevigataは、「平滑」を意味し、葉の質感を表しています。

原生地はノハナショウブと同じ北東アジアですが、その生育環境には明確な違いがあります。

カキツバタは湿地や浅い水中から抽水して生育するのに対し、ノハナショウブは水際の湿った土壌を好み、水中には適応していません。

日本では、尾形光琳(こうりん)の描いた「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」の影響もあり、ハナショウブを水中から立ち上がるように植栽する風習が見られます。

しかし、カキツバタとは異なり、ハナショウブには水中の組織へ酸素を供給する「通気組織」が十分に発達していません。そのため、本来は水中栽培に適さず、水が滞らない環境で育てるのが望ましいと考えられます。

東京都葛飾区の「堀切菖蒲園」には、江戸時代に作られたハナショウブの品種が、集約的に植栽され、保存・展示されています。

400年以上も前に、これほど完成度の高い園芸植物が作り出されたことには、驚かされます。こぢんまりとした公園ですが、その内容の充実ぶりには深い満足感を覚えました。

江戸後期、松平定朝(まつだいら さだとも、1773〜1856)という人物がいました。旗本であった彼は、将軍に直接拝謁できる直属の家臣であり、松平姓を許された存在でもありました。京都西町奉行を務めた有力者である一方で、父親と二代にわたりハナショウブの品種改良に取り組んだ愛好家としても知られています。

彼は、すでに存在していた品種や野生種の変異株を基礎とし、それらを計画的に選抜・組み合わせることで、新たな品種の育成を進めていきました。

松平定朝は「菖翁(しょうおう)」と号し、ハナショウブの計画的な品種改良と新花の作出に生涯をかけて取り組みました。彼の作り出した品種群は「菖翁花」と呼ばれ、その数は約300とも伝えられています。

「霓裳羽衣」

上の写真の「霓裳羽衣(げいしょううい)」も、その一つに数えられる品種です。白い筋が鮮やかに浮かび上がるその姿は、「虹のように美しい天女の羽衣」との意味もあり、唐の玄宗皇帝に愛された楊貴妃が得意とした舞曲に由来するとも言われています。

この品種は、菖翁作とされる、代表的な花の一つです。菖翁は、今までのハナショウブや原種のノハナショウブの種子を江戸に取り寄せ、交配して実生を大量に育て選抜しました。

「王昭君」

この上の写真に示した「王昭君(おうしょうくん)」も菖翁の作出で、中国四大美女の一人に由来する名前を持つ品種です。

こうした品種名から、彼は中国の古典に詳しく、当時ではかなりの教養を持つ人物だったことがうかがえます。そして、ハナショウブのこととなるとひときわ熱を帯び多弁になる人柄であったことが伝えられています。

「和田津海」

上の写真は、菖翁花の一つ、「和田津海(わだつみ)」という品種です。

以下は、菖翁花――すなわち、「江戸系」のハナショウブと呼ばれる品種の特徴です。

1.葉が刀を思わせるように、真っすぐ立つこと

2.株姿が縦に伸び、端正な印象を持つこと

3.花被片が垂(た)れず、平咲きであること

4.花色が鮮明で、かつ冴(さ)えた発色を示すこと

これらは、菖翁がハナショウブに求めた美意識だったのだと思います。

「蛇籠の波」

上の写真は、江戸古花とされる「蛇籠(じゃかご)の波」という品種です。白地の平咲きで花被片に淡い青の筋が入り、半八重咲きの花容(かよう)を見せます。

江戸時代に生み出されたハナショウブは、野生のノハナショウブの面影を残しつつも、まるで異なる世界を思わせる花容へと飛躍していきました。

堀切菖蒲園には、江戸古花や菖翁花に加え、肥後系・伊勢系・長井系など、江戸のハナショウブの文化を語るにふさわしい、多様な系統が生きた形で展示されています。

園内ガイドさんの話を聞きながら、私は深くうなずきました。こうして触れてみるとハナショウブの世界は簡単に語り尽くせるものではありません。ハナショウブに魅せられた人々の義理と人情のドラマ、ハナショウブという植物が魅せる不思議な世界への旅は続きます。

次回は、『江戸時代と花菖蒲[その3]』です。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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