東アジア植物記 江戸時代と花菖蒲[その3]

江戸時代、ハナショウブを芸術の域にまで高めた「菖翁(しょうおう)」は、自ら作り出した作品を門外不出としました。これは、品種の劣化を防ぐとともに、育種技術を含めた「江戸花菖蒲」(江戸系)の体系的な継承を、強く意識していたためだと考えられます。

菖翁とは松平定朝(まつだいら さだとも)の号であり、その作出品種は「菖翁花」と総称されます。

東京都文京区にある小石川後楽園は、水戸徳川家の中屋敷として築造され、のちに明暦の大火を経て上屋敷となりました。その庭園は、徳川光圀(とくがわ みつくに)によって本格的に整備された日本庭園として知られています。

そこには、武士の象徴とされたハナショウブが植えられていました。その庭園は、町人が手掛ける庭とは異なり、広大で格式の高いものとして作られていました。

同じ文京区には、加藤清正の後を継いで肥後藩を治めた細川家の下屋敷もありました。

菖翁花「連城の璧 (れんじょうのたま)」

肥後細川家は、茶道・能・学問・文芸・庭園文化に深く関わった名門として知られています。第10代藩主・細川斉護(ほそかわ なりもり)は、「江戸花菖蒲」に強い関心を寄せ、門外不出とされていた「菖翁花」の割譲(かつじょう)を菖翁(松平定朝)に願い出ました。

しかし、菖翁はこれを容易には認めませんでした。それでも斉護は諦めず、藩士を菖翁の下へ弟子入りさせたのです。その期間は、10年以上に及びました。

菖翁は、品種だけを譲り渡したとしても、それを十分に扱う技術がなければ、大切な品種を維持できないと考えていたのです。

そのため、菖翁は弟子に土づくりや水やり、株分けといった基本的な栽培技術、交配の方法、実生(みしょう)苗の管理、そして選抜の基準に至るまで、長い年月をかけて教えました。

菖翁作ではないかといわれる江戸古花「五湖の遊(ごこのあそび)」

このとき菖翁の弟子となった肥後藩士は、藩主の信頼も厚く、園芸にも明るかった吉田潤之助とされています。

菖翁は、この藩であれば自ら作出したハナショウブが粗略に扱われることはないと判断し、最終的に品種の割譲を認めるに至りました。

こうして肥後藩は、「江戸花菖蒲」の導入に成功しました。

菖翁作ではないかといわれる江戸古花「蜀光錦(しょっこうにしき)」

菖翁は江戸時代としては長寿であったと伝えられますが、家族に菖翁花を継ぐ者がなく、自らが作り上げたハナショウブの行く末に不安を抱いていたようです。

そのような状況下で、肥後藩は藩士の弟子入りを通じ、期せずして江戸時代の武士文化の中で洗練されたハナショウブを継承することになりました。

肥後藩には、藩が後援する武家による、公式の園芸組織「花連」が存在していました。

「花連」は、菖翁花を基礎として、肥後の地で実生(みしょう)選抜を繰り返し、自らの審美眼にかなう「肥後花菖蒲」(肥後系)の系統を育成・管理していきました。そして、その品種は門外不出のおきての下で厳格に守られていました。

それに加え、鑑賞の作法も定められました。それは、正装の上、1鉢に1花を据え、座敷の正面から静かに向き合い鑑賞するというものです。

こうした一連のあり方は、細川藩の美学として体系化されていきました。

「肥後花菖蒲」は、鉢植えで育て、室内で鑑賞するものとされました。そのため、「江戸花菖蒲」とは異なる独特の花容が形づくられていきました。

その主な特徴は、次のようにまとめられます。

1.品種数が非常に多いこと――「花連」の組織的な育種体制によるものとされ、その数は1000を超えるといわれます。

2.大輪性であること――1輪ごとの存在感が際立つ、見事な巨大輪性の花を付けます。

3.草姿が低く、どっしりしていて室内観賞に適していること。

「肥後花菖蒲」は、庭園の池周辺に植えて眺めるのではなく、鉢植えとして花そのものを鑑賞する文化の中で育成されました。そのため、「江戸花菖蒲」に見られるような整った立ち姿や端正さとは異なり、巨大輪で迫力のある、豪壮な花姿を特徴とします。

写真では、手前の列が「肥後花菖蒲」、奥に見えるのが「江戸花菖蒲」です。両者を比較すると、その特異な姿がよく分かるでしょう。

「江戸花菖蒲」と「肥後花菖蒲」は、武士の園芸として特異な文化を花開かせました。しかし、幕藩体制の崩壊から明治維新、さらには幾度もの戦乱を経る中で、その多くが失われました。

それでもなお、今私たちが目にする品種の数々は、数奇な運命に翻弄(ほんろう)されながらも歴史の中で人々に受け継がれ、生き残ったものなのです。

次回は、引き続き『江戸時代と花菖蒲[その4]』です。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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