東アジア植物記 江戸時代と花菖蒲[その4]

幕末の日本にイギリスのプラントハンター、ロバート・フォーチュン(Robert Fortune、1812~1880)が訪れました。長い旅路の末にたどりついたのは、長崎の地でした。

彼は、初めて目にした日本の町の印象について「住民が皆、花好きで、小さな庭に花を植えている」と記しています。その言葉は、江戸時代でも園芸を楽しむ文化が日本の各地にまで根付いていたことを示しています。

伊勢神宮の内宮(ないくう)に向かう道のりで最初に目にするのが「五十鈴川(いすずがわ)」

江戸時代、「一生に一度は伊勢参り」といわれるほど、伊勢神宮への参拝が全国的な人気を集めていました。

当時の記録には、庶民が集団で伊勢へ向かう様子が数多く残されており、伊勢参りが熱狂的な大流行だったことがうかがえます。 

こうした人の流れが向かう伊勢の地には、「伊勢系」と呼ばれるハナショウブの系統、「伊勢花菖蒲」があります。

戦がなくなった江戸時代、武士の精神修養の一つとしてハナショウブの栽培が広く親しまれたことは前回の通りです。

江戸で菖翁が活躍していたのと同じ時代に、三重県松阪には吉井定五郎(よしいさだごろう)という徳川紀州藩士がいました。

彼もまたハナショウブを愛好し、地元に自生するノハナショウブの変異個体を元に、実生(みしょう)選抜などを重ねながら、独自の品種改良に取り組み、後の伊勢花菖蒲という品種群を作ったとされています。

この伊勢花菖蒲もまた武士の園芸として成立し、紀州藩では門外不出とされていました。 伊勢花菖蒲は、肥後藩の肥後花菖蒲と同様に鉢植えとして育てられ、座敷で鑑賞する花として発展していきました。

 その主な特徴は、次のようにまとめられます。

1.鉢植えで姿形がまとまること

2.花茎と葉の高さがそろうこと

3.中間色を主体とした、柔らかい色合いを持つこと

伊勢花菖蒲と聞くと、どうしても伊勢神宮との関係が想起されます。しかし、江戸時代において、神宮とハナショウブの直接的な結びつきを示す資料は見つかっていません。 現在、伊勢神宮外宮(げくう)にある「勾玉(まがたま)池」には多くのハナショウブが植えられていますが、この池は明治期に造成されたもので、江戸時代には存在していませんでした。

こうした点を踏まえると伊勢花菖蒲は、この神宮そのものだけでなく、この地を形成した広大な商圏を背景に、商人と紀州藩との間で育まれ、楽しまれたと考えられます。

伊勢には、多くの参拝客とともに莫大(ばくだい)なお金が流入します。宿泊や飲食、土産物などの需要を満たすために周辺の経済が大きく成長しました。

しかし、集まったのはお金だけではありません。全国から訪れる人々によって各地方の情報も伊勢にもたらされました。各都市で何が流行し、何が不足しているのか――そうした動向が伊勢にいるだけで把握できるようになりました。

その結果、江戸時代の伊勢は、「人・金・物・情報」が集積する場になりました。そこから伊勢商人や松阪商人が生まれ、やがては三井財閥の元となる豪商たちが現れました。

藩の財政が苦しくなると、紀州藩は豪商たちから御用金(ごようきん)の貸し付けを受けるようになり、その借金関係によって豪商との間に結び付きが生まれました。

その見返りとして、商人でありながら名字帯刀(みょうじたいとう)を許される者も現れ、武士の文化にも関与していったと考えられます。

こうした交流の中で、本来は門外不出で武士の象徴とされた伊勢花菖蒲は、豪商たちの間でも楽しまれたのだと思います。

伊勢花菖蒲の「朝日空(あさひぞら)」

「朝日空」というハナショウブの品種があります。この伊勢花菖蒲を見ていると、「菖翁花」に見られるような大輪で平弁(平咲き)、精密で多様な色彩を持つハナショウブとは異なるように思えます。

「朝日空」の姿には、ノハナショウブが本来持っていた素朴さが残されており、野生の面影を感じられるのです。

伊勢花菖蒲の「神路(かみじ)の誉(ほまれ)」

上の写真は「神路の誉」です。伊勢花菖蒲は、鉢植えでの鑑賞を意図して改良されました。そのため、江戸花菖蒲(江戸系)と比較すると、それらは総じて矮性(わいせい)で、株姿が小型でまとまるように選抜されました。

伊勢花菖蒲の「美吉野(みよしの)」

伊勢花菖蒲は、江戸花菖蒲や肥後花菖蒲(肥後系)に比べると、品種数はそれほど多くありません。育成には地元のノハナショウブが用いられたと伝えられています。しかし、幅広い花弁や鮮やかな色彩、さらには繊細な中間色など、江戸花菖蒲で確立された複雑な園芸形質が数多く見られます。そのため、伊勢花菖蒲の起源を野生種の変異だけで説明することは難しそうです。

ノハナショウブは、もともと冷涼な気候を好む植物です。温暖な伊勢地方に、これほど多様な変異を生み出す膨大な野生母数があるようには思えません。おそらく、武士の人的ネットワークや松阪商人の流通網を介して、古い時代の江戸花菖蒲が伊勢にもたらされ、伊勢花菖蒲の交配母株に使われた可能性が高いと私は考えています。

伊勢・肥後・江戸の三系統は、江戸時代の武士文化の中で形作られた、ハナショウブの大きな流れでした。しかし、日本のハナショウブの歴史は、この三系統だけで語り終えることはできません。

次回は、『江戸時代と花菖蒲[その5]』です。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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