東アジア植物記 シキミ属[後編]

突然ですが、「アニータ(ANITA)」という言葉をご存じでしょうか。

どこかラテン系のご婦人の名前を思わせますが、実は植物分類学の専門用語です。アニータとは、被子植物が裸子植物から分化した初期段階に位置する、原始的な被子植物群を指す言葉です。

ANITAは、Amborellales(アンボレラ目)・Nymphaeales(スイレン目)・Illiciaceae(シキミ科)・Trimeniaceae(トリメニア科)・Austrobaileyaceae(アウストロバイレヤ科)の頭文字を取った分類群のことです。

イリシウム アルボレスケンス

上の写真は、前回紹介したIllicium arborescens(イリシウム アルボレスケンス)マツブサ科シキミ属です。現在はマツブサ科シキミ属に属していますが、かつてはシキミ目(Illiciales)と呼ばれた分類に置かれていました。

スイレン属(Nymphaea)の植物

こちらの写真は、ニンフェアリーズ目(Nymphaeales)のスイレン属(Nymphaea)です。

21世紀初頭まで、シキミ属などを含むANITA属は、裸子植物から被子植物が誕生し、急速な進化を始めた白亜紀前期から中期に起源したと考えられていました。

その後研究が進み、シキミ目は廃止されてシキミ属はマツブサ科に含められ、トリメニア科とともにアウストロバイレヤ目に統合されました。

この再編により、ANITAは改めてANA(アナ)と呼ばれるようになりました。ANAとは、Amborellales(アンボレラ目)・Nymphaeales(スイレン目)・Austrobaileyales(アウストロバイレヤ目)の頭文字です。このANAと呼ばれる植物群の花には、共通の特徴があります。

サネカズラKadsura japonica(カズラ ジャポニカ)マツブサ科サネカズラ属

ANA植物群は、スイレン目を除けばいずれも樹木性であり、花被片(がく片と花弁)の区別がなく、らせん状に配置されています。雄しべと雌しべも同じく、らせん状に並びます。

そして、顕微鏡を使わないと分からないのですが、花粉の溝構造が一つで、裸子植物との共通性を持つこともANA植物群に共通なのです。

サネカズラの果実

この写真は、アウストロバイレヤ目に属するサネカズラの果実です。多数の心皮が集合して一つの果実を形成している様子が分かります。

ANA植物群の果実は、現代の被子植物に見られるような、完成された果実の作り方には至らず、初期の被子植物らしく多方向に分岐して、実に多様です。

ベニバナゴミシ

ベニバナゴミシSchisandra rubriflora(スキサンドラ ルブリフローラ)マツブサ科マツブサ属。こちらは中国秦嶺山脈で撮影したベニバナゴミシです。

難しい植物分類学が分からなくても、古代の被子植物がどのような雰囲気の花を咲かせていたのかを感じ取っていただければよいと思います。

そして、これらの植物が、白亜紀の大量絶滅やその後の氷河期を生き延びた地域である東アジア南部やオーストラリア北部、南太平洋の島々を起源としていることも覚えておいてほしいです。

被子植物というといろいろ難しい解説が付きますが、英語では「flowering plants(開花植物)」と言います。意外にも、この平易な名が被子植物を理解する助けになります。

シキミ

この写真は、原始的な花の特徴を残すシキミIllicium anisatum(イリシウム アニサツム)マツブサ科シキミ属の花です。ANAと呼ばれる古代の植物群。その雰囲気が伝わるでしょうか。

春5月、原生林北側の樹林帯を歩いていると、ほのかにミカンのような香りが漂ってきました。その香りを頼りに周囲を探すと、シキミの木でした。

シキミは照葉樹林を代表する樹木の一つです。花が咲けば香りによってその存在に気付きますが、花のない時期には常緑樹林の中へ溶け込むように姿を消してしまいます。

そこに確かにあるのに、普段は見えない。シキミは、そんな神秘的な樹木でもあります。

シキミが持つ神秘性と仏的イメージとは裏腹に、満開のシキミの花に囲まれているとミカンのような香りが立ち込め、淡黄色の花が何ともすがすがしく輝いて見えます。

シキミの種形容語のanisatumは、「アニスのような香りを持つ」という意味です。命名者は、あのカール・フォン・リンネ(Carl von Linné、1707~1778)です。

しかし、リンネ自身は東アジアを訪れたことがありません。推測になりますが、カール・ピーター・ツンベルク(Carl Peter Thunberg、1743~1828)が長崎で採集した標本をリンネのもとへ送り、それに基づいて学名が付けられたと考えるのが最も自然でしょう。

もし、リンネがシキミの強い毒性を知っていたら、「アニスのような香りを持つ」という、ハーブを連想させる学名は付けなかったかもしれません。

シキミは、日本の暖地に生育する樹木で、東アジアの照葉樹林帯の林床を生育環境としています。湿度の高い半日陰を好み、その環境は、あるいは白亜紀の地球を思わせるものなのかもしれません。

分布は沖縄から宮城県の沿岸部に及び、海外では台湾や済州島にも原生しています。山の中で見るシキミは3~4mほどの低木状ですが、条件のよい場所では見上げるような大きな木になります。私も10m以上に育ったシキミの古木を見たことがあります。

シキミ属の化石は白亜紀前期の地層から見つかっており、その存在はANA植物群の長い歴史性を物語るものです。

白亜紀からいったいどれほどの時が流れたのでしょうか。

シキミ属は、白亜紀前期にはすでに存在していました。大陸移動や大量絶滅、気候の激変など、さまざまなつらい思いをし、乗り越えてきたに違いありません。それでも彼らは子孫を残してきました。シキミは一億年のサバイバー(“A Hundred-Million-Year Survivor”)です。時空を越えて白亜紀の花の記憶を今に伝える木なのです。

次回は、ウンナンボンテンカのお話です。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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