東アジア植物記 江戸時代と花菖蒲[その6]

ハナショウブの江戸系、肥後系、伊勢系は、江戸時代の園芸文化の中で育まれた品種群でした。しかし、日本におけるハナショウブの歴史は、この三系統だけで語り尽くすことはできません。

山形県南部には、古くからその土地、その家ごとに伝わる「長井古種」と呼ばれるハナショウブの品種群があったのでした。

長井古種「長井小紫(ながいこむらさき)」

昭和6年、日本花菖蒲協会が設立されました。その後、昭和37年に同協会が山形県の「長井あやめ公園」を調査した際、江戸系・伊勢系・肥後系のいずれにも属さないと考えられる品種群が見つかりました。

協会はそれらの一群を「長井古種」と命名しました。

野生の原種ノハナショウブ

ハナショウブの野生種であるノハナショウブ(Iris ensata var. spontanea)は、冷温帯の湿った草地を主な生育環境にする植物です。

山形県長井市は、古くから置賜(おきたま)と呼ばれた地域に属し、その南部で奥羽山脈に連なる飯豊山系や朝日山系に囲まれた最上川流域の盆地にあります。江戸時代には米沢藩(上杉氏)の領地でした。周辺は寒冷で雪深い地域です。

春になると、最上川は雪解け水によって増水します。川の周辺には氾濫原が形成され、ノハナショウブの生育適地が広がっていたと考えられます。しかし、こうした低地の多くは、新田開発や昭和期の河道整備で姿を変えました。そのため、ノハナショウブの自生地の大部分が消滅し、現在この地域で見られるノハナショウブの原生株は限られたものになっています。

長井古種「三淵(みふち)の波(なみ)」

「菖翁花(しょうおうか)」をはじめ、人による交配と選抜を重ねて成立したハナショウブは、総じて開花が早い性質を持つ=早生(わせ)の品種群です。それに対して、長井古種は開花が遅い=晩生(おくて)という性質を持っています。

花被は細く小型で、素朴そのもの。私には、その花容(かよう)がノハナショウブの色変わりの個体を思わせます。

長井古種「葉山の雪」

上の写真は、長井古種の白花品種「葉山の雪」です。自然界において、ハナショウブのほとんどが紫花であり、白花個体が出現する確率は極めて低いものです。

通常、生物は二倍体で、それぞれの遺伝子を2本ずつ持っています。野生のノハナショウブの花色を紫のAA型の遺伝子(紫色のホモ接合体)、白をaa型の遺伝子(白色のホモ接合体)と仮定します。野生の状態で2本の遺伝子が同時に変異して白花になる可能性は極めて低く、偶然にaa型の個体が出る確率は、実質的にほぼゼロに近いと考えられます。

では、それにもかかわらず、どのようにして白花個体はが生まれるのでしょうか。

AA型の遺伝子のうち片方の色素系遺伝子が変異や欠損を起こしたり、トランスポゾン(転移因子)が挿入されたりすることで、Aa型(ヘテロ接合体)になる場合があります。そして、そのような個体が生き残り増殖すると、やがてAa型×Aa型の交雑が起こる可能性があります。

ヘテロ個体同士が交雑した場合、配偶体の組み合わせは以下のようになります。

つまり、AA型(紫色のホモ接合体)が4分の1、Aa型(ヘテロ接合体)が2分の1、aa型(白色のホモ接合体)が4分の1の確率になるわけです。

実際の花色の発現には複雑な要因があると思いますが、メンデルの法則に基づく極めて単純な遺伝子モデルで考えると、ヘテロ個体同士の交雑によって、aa型の白花個体が4分の1の確率で生じることになります。

しかし、このような白花の個体は、自然界で生き残る可能性が低いものです。生育が弱かったり、昆虫などの訪花が少なく子孫を残すことが難しい場合もあるでしょう。そのため、せっかく現れた変異を後代へ残すことなく自然に消えてしまうことが多いのです。

ところが、こうした変異をいち早く見つけ出す生き物がいます。それが人間です。紫花一色の世界に白花が現れれば、人々はその珍しさに注目して栽培しながら守り、後代へ伝えようとします。そうして、白花個体が保存されれば、さらに白花個体(aa型)と中間体にあたるヘテロ個体(Aa型)との交配などを通じて、さらに多くの変異株が現れる可能性が高まります。

グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel、1822~1884)は、優性の法則と分離の法則を発見したことで知られています。彼の理論では、AAが紫花、aaが白花とした場合、Aaは優性形質である紫花になります。

しかし、20世紀になると優性と劣性の法則に例外があることが証明され、「不完全優性理論」が出されました。優性が完全でなく中間型が例外ではないことが遺伝現象の一部だと認識されます。

ハナショウブでもAaのヘテロ接合体には中間型の多様な花色が生じるのです。

長井小花「かすり乙女」

長井古種の場合、「菖翁花」のように人による品種改良があったわけではありません。それらの変異は自然の中で起こり、紫色の野生種であるノハナショウブからヘテロ接合体を経て白花や中間色が生じたとされます。

そして、そのような珍しい変異をいち早く見つけた人々が、庭や畑に入れ、栽培を続けました。こうして長井古種というハナショウブの地方品種群が出来上がったと考えられています。

長井「古種」といっても、それがいつ生じたのか史料はなく、その成立時期は分かっていません。古くから伝わるものなのか、それとも比較的新しいものなのかも不明です。しかし、長井古種を生み出す膨大な母集団が過去には置賜地域に原生していたのでしょう。

置賜地域は、ノハナショウブの自然集団の中で遺伝的多様性が蓄積されやすい局所的な特異地だったのだと、私は思います。

長井種の「日月(じつげつ)」

そんな長井古種の中に「日月(じつげつ)」というハナショウブがあります。早咲きで花付きがよく、花被は幅広く、花色もひときわ鮮やかです。その姿には、自然の変異集団だけでは説明しにくい特徴が見られます。

この品種は、長井古種の範疇(はんちゅう)に収まりきらず、どこか江戸系園芸種の血筋を感じさせます。おそらく比較的近年に江戸系の園芸種が置賜地域に入り、長井古種との間で交雑した後代なのかもしれません。

江戸系の流れをくまない園芸品種としての長井古種は、東アジアの自然の豊かさと多様性、そしてそこに生きる人々の営みが、長い時間をかけて形になった存在なのだと思います。それは、その土地の自然と人の記憶を今に伝える――一つの「タイムカプセル」のようにも感じられるのです。

次回は、『江戸時代と花菖蒲[その7]』です。さまざまな変化に富むハナショウブの品種群ですが、次回はノハナショウブという植物そのものに秘められた、内在的な秘密について考察します。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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