これまで見てきたように、ハナショウブという植物は、江戸の園芸文化の中で花開き、多様な色彩と花姿を生み出してきました。その変化の源の一つには、野生のノハナショウブが本来持つ、内在的な力があるのだと思います。
今回は、ハナショウブの中に秘められた、その「内在的秘密」について考察します。

東京都葛飾区の堀切菖蒲園を眺めていると、まるで万華鏡の中にいるような不思議な感覚を覚えました。
これほど多彩な花色と花型の変異が、もともとは素朴な野の花であるノハナショウブの中に秘められていたこと。そして、人々がその可能性を見い出し、引き出してきたことが不思議でなりません。

日本には、アヤメやカキツバタ、ヒオウギアヤメなどノハナショウブ以外にも野生のアヤメ科植物が自生しています。しかしそれらは、昔から野や湿地に咲く素朴な花として親しまれてきたものの、ハナショウブほどの大規模な園芸品種化は行われていません。
ノハナショウブには、その植物に内に「パンドラの箱」にも例えられるような、不思議な「何か」が隠されているように思えるのです。

まず、ノハナショウブの花器官を解剖学的に観察します。
ノハナショウブは、地下に伸びる根茎から剣状の葉を立ち上げる植物です。春から初夏にかけて、日が長くなるにつれ花芽が動き始めます。さらに、一定の温度が積み重なることで花茎を伸ばし、やがて開花に至ります。

花茎の先端には、三数性の花がつきます。花のパーツは、幅広く黄色い蜜標を持つ外花被が3枚、立ち上がる小型の内花被が3枚、雄しべ3本、雌しべ1本です。
この構造は、アヤメ属という植物が本来持つ設計図、すなわち遺伝子によってあらかじめ定められたものです。それは、進化の過程で形づくられてきた、この植物固有の「理(ことわり)」なのです。
アヤメ属のハナショウブの花柱は複雑な構造をもつため、ここで詳しく説明します。
ハナショウブの雌しべは1本ですが、花柱の先端にある柱頭は深く三つの柱頭片に分かれ、それぞれが色づき、花被片のように大きく発達しています。さらに各柱頭片の先端はさらに二つに裂け、旗のような突起を形成しています。花粉を受け取る受粉面は、この旗弁状の突起の基部に帯状に存在します。

一方、雄しべは3本で、それぞれが三つの柱頭片の基部にそれぞれ寄り添うように配置されています。先端にある葯(やく)が花粉を放出し、受粉の役割を担います。
また、大きな3枚の外花被の基部は黄色く色づいています。これは蜜標として機能し、訪花昆虫を花の中心部へみちびく目印になっています。
受粉面が外花被に隠されていることを考えると、受粉を担う昆虫は、黄色に引き寄せられ、狭い花の入り口へ潜り込む習性をもつものだったのでしょう。私は、その有力な候補としてハナアブ類を想像しています。

ところが、園芸植物となったハナショウブには、野生のノハナショウブには見られないさまざまな花型が存在します。
左上の伊勢系品種「二見の里」では、内花被がまるで外花被と“勘違い”したかのように幅広く発達しており、独特の花姿を見せます。
右上の「十二一重」という品種は、内花被と外花被がそれぞれ3枚を超え、4~5枚に変化しているのです。

上の品種では、3枚の内花被が3枚の外花被に変化しており、全体として6枚の外花被を持つ花ように見えます。
こうした姿は、人間が意図的に選抜してきた花の変異の結果です。同時に、ハナショウブの内部では、本来の「外花被3枚、内花被3枚」という設計図の一部が書き換えられ、内花被が外花被の性質を持つようになったことで生じた現象でもあるのです。

上の写真の青いハナショウブでは、内花被や雌しべ、雄しべを明確に見分けられません。恐らく、本来は雄しべや雌しべであった器官が花弁化し、それらが押し合いへし合いをして盛り上がっているのでしょう。
葉は、その時々の環境に応じて柔軟に形を変えることがよく観察されています。しかし、生殖器官はその種(しゅ)の存続に直接影響を及ぼすため、一般には保守的で、あまり変化しないものです。
ところが、ハナショウブという植物では、設計図がきわめて柔軟に変幻しているのです。

ノハナショウブという植物は、大陸のアムール川やウスリー川の氾濫原を起源としているのではないかという仮説があります。
その地域は寒冷で、季節の変化が激しい土地柄です。冬には凍結し、夏には強い暑さにさらされます。雪解けの時期には水没し、ある時は渇水で干上がることもあったでしょう。
ノハナショウブは、そうした厳しい環境下でも生き延びてきた植物です。環境が大きく変化しても絶滅することなく、後代へ遺伝子を伝えるため、さまざまな変化に対応し、生き残るための仕組みが、その内部に秘められているのかもしれません。

ハナショウブ、アヤメ、カキツバタの遺伝情報を収める染色体数は、ノハナショウブが2n=24、アヤメが2n=28、カキツバタが2n= 32で、大きな違いはありません。
ところが、ゲノムの総量を比較すると、ノハナショウブはアヤメやカキツバタの約2倍に達するのです。これは、過去における全ての遺伝情報を丸ごと重複する「全ゲノム重複Whole-Genome Duplication(WGD)」が起きた痕跡があったということだと思います。
現在のノハナショウブは二倍体です。増えすぎた染色体数を整理・統合し元に戻す「ディプロダイゼーション(diploidization)」が進化の過程で起きたのでしょう。しかし、染色体数が整理された後も、重複によって生じた多くの余剰な塩基配列はゲノム内に残されました。そのため、見かけ上は二倍体であっても、ゲノムは、依然として冗長な構造を保っています。
その中には、現在は使われていない配列や動き回る転移因子なども含まれると考えられます。そして、それらの配列が本来の設計図である遺伝子の働きに影響を及ぼすことで、花色や花形の変異を起すことになります。

肥後系ハナショウブ「写楽」
上の肥後系ハナショウブ「写楽」という品種の写真をご覧ください。その巨大輪性は、周りと比較しても、あまりにも異様といえるほどの存在感を放っています。
では、この花をどのように説明すればよいのでしょうか。ハナショウブの染色体数は通常2n=24です。ところが、「写楽」は3n=36だというのです。つまり、通常の1.5倍の染色体を持つ「3倍体」です。
おそらく、配偶子の一方で染色体が正常に分離せず、本来はnになるはずの配偶子が2nになり、それが通常のnとの間で交雑が起きた結果、3nの個体が生じたのでしょう。

通常、そのような異常が生じると、受粉が成立しなかったり、胚が正常に育たず、子孫が残せません。
ところがハナショウブでは、事情が異なるようです。ノハナショウブが持つ冗長なゲノムが遺伝子の働きを補い、そのような変異を許容してしまったのではないかと考えられています。ハナショウブが極めて寛容な遺伝子基盤を持つ植物であることを感じずにはいられません。
こうした性質こそが、アヤメ属の中でハナショウブを「形態変異の王者」とも呼ぶべき存在にしているのでしょう。

江戸古花の「仙女の洞」
上の写真は、江戸古花の「仙女の洞」です。この品種は2n=25の染色体を持つ異数体として知られています。
一般的に、細胞の核に収められる染色体数が増えると、それに伴って細胞そのものも膨らみます。その結果、花や葉などの器官も大型化した品種が生み出される原動力の一つになります。

「王照君(おうしょうくん)」
上の写真の「王照君」は、菖翁花(しょうおうか)の最高峰の名品の一つとして知られています。
その巨大輪と、花弁に刻まれた皺の多さが印象的です。私は、この特徴が余分な染色体によって引き起こされた、成長速度とのズレと関係しているように思うのです。
肉厚の花弁がお互いに重なり合いながら広がる姿は、どこか異様な存在感があります。それは、おまけの染色体を持つ異数体(2n=25)がもたらす力なのかもしれません。

もう一つ、ハナショウブを少し変わった園芸植物にしている理由があると思います。
以前、桃山時代から続く琳派(りんぱ)の流れをくむ尾形光琳の《燕子花図屏風》の話をしました。本来は、カキツバタを描いた作品ですが、後世の園芸文化の中では、ハナショウブと重ね合わせて受け止められることも少なくありませんでした。
その結果、人々は花の大輪性を生み出す一方で、本来は湿地に生えることのないハナショウブにさまざまなストレスを与え続けてきました。
私は、こうした負荷もハナショウブのホルモンバランスに影響を与えて、より多様な変異を生み出す一因にもなったのではないかと考ています。

ハナショウブ。その園芸界における希有な存在は、巨大で冗長なゲノム、トランスポゾンにも活動を許容する遺伝子の働き、 そして、その変異を促してきたのは、どこか“勘違い”のまま続いた栽培環境が生み出したものなのだと思います。
変化を楽しみながら、泥にまみれてハナショウブを守り育ててきた人々のぬくもりと、 そこにあった数えきれないほどの人間ドラマもあったことでしょう。
そうした植物の力と人々の情熱が、この花の姿に折り重なっています。それらすべてが、江戸時代に全盛を極めたこのハナショウブという植物を、日本の園芸文化遺産の一つにしてきたのだと感じています。
次回は、「江戸時代と花菖蒲」編の締めくくりとして、これまで触れてきた内容を整理しながら、ハナショウブを取り巻くさまざまな事柄を見ていきたいと思います。お楽しみに。