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だるまさんが転んだ[前編] ハグマノキ

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

だるまさんが転んだ[前編] ハグマノキ

2016/08/02

子どもの頃、にらめっこでは「だるまさん、だるまさん」と言い、外では「だるまさんが転んだ」とはやして遊んでいました。縁日ではだるまの人形が売られ、選挙になるとだるまの人形に片目を入れています。日本で親しまれるだるまさんとは、一体、どこの誰でどんな人なのでしょう?

6世紀、中国では北方民族の王朝と江南の漢民族が対峙する南北王朝が形成されます。その時代、シルクロードを通りインドや西域の人々が盛んに往来するようになり、仏教が伝わりました。達磨は中国禅宗の開祖とされます。多くの伝説で語られているので、真実かどうかはわかりませんが、伝聞ではペルシャ人ともインドの王国の血筋ともいわれ、インド各地に仏教を広め、中国にも布教に来ました。

南朝に渡来した達磨は、彫りが深く、髪は伸び、ひげがもじゃもじゃ、ぼろ布のような法衣に身を包んだ異形の僧です。皆に相手にされなかったと聞きます。中原にたどり着いた達磨は崇岳、小室山の麓の林にある寺に身を置きます。それが世界遺産の少林寺です。写真は小室山の山容です。

異端の僧、達磨は少林寺の僧たちにも疎まれたと聞きます。仏教はインドの歴史や風土の中で育まれたものです。異国にフィットするには、さまざまな工夫と困難を乗り越える、マーケティングが必要だったのだと思います。写真中央には小室山、少林寺の建物が点景として見えます。達磨は独りで山に登り、座禅という修行を始めました。

達磨は山の中腹にあった洞窟の壁に向かって9年、座禅修行をしました。面壁九年といわれる行です。人から教わるものではなく、自ら悟りを開くものです。仏教が伝わり始めた中国では、さまざまな人がいろいろな解釈で教義を語ったのだと思います。何が真実なのか知りたい若者は、たくさんいたに違いありません。壁に向かって9年、一人自分と向き合う達磨。仏教本家のこの僧のことは、だんだん少林寺の中に広まり、教えを請いたい人々も出てきました。

慧可(エカ)という仏僧は、各地を求法のため放浪しました。そして達磨を知り、教えを請いましたが、達磨は断ります。慧可は自らの腕を切り落として、弟子入りの願いが利己のためではないことを示したと聞きます。その話は「雪中断臂」といい、禅宗の伝承です。入門を許された慧可は二祖といわれ、その弟子とともに禅宗を広めに行きました。

9年間、壁に向かって座禅をしたとしても、当然食事や休憩もあります。洞窟を出ると、その周りにはハグマノキ(白熊の木)がたくさん自生していました。達磨洞からは、ハグマノキを通して少林寺が見えます。

ハグマ(白熊)とは、ヤクという偶蹄目ウシ科ウシ属の尻尾の毛です。ヤクは高山に適応し、粗食でもよく働く動物です。その尾毛は武士に好まれ、兜や槍につける装飾に使われたのです。ハグマノキの名前は、その花姿を白くふさふさのヤクの尻尾の毛に見立てたものです。

ハグマノキは大陸の植物。中国中部から南ヨーロッパまで広い範囲に自生する落葉低木です。ハグマノキCotinus coggygria(コティヌス コギーグリア)ウルシ科コティヌス属。英名をスモークツリーというのでこちらの名前をご存知の方も多いでしょう。

ハグマノキの葉は互生、全縁で丸く、うちわのように見えるので、花がなくてもそれと分かります。雌雄異株で、雌株の花が咲き終わると、受精しなかった花の花柄が糸状に伸び、煙のように枝先に広がります。達磨洞は険しい道を登った中腹にありました。足を滑らせ転ぶこともあったでしょう。「だるまさんが転んだ!」ことを弟子がおかしげに話したのもかも知れません。「だるまさんが転んだ」は韻を踏んでいて、ちょうど10文字のフレーズです。それは、日本で誰が、いつ、どのように作ったのでしょうか? インド生まれで中国で活躍した、達磨が、妙に日本文化に溶け込んでいるのはおかしな話です。

次回は「だるまさんが転んだ[後編]」として、達磨胴の近くに生える植物と少林寺の話を取り上げる予定です。お楽しみに。

JADMA

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