小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
ワニグチソウ(鰐口草)
2021/05/25
その昔、お寺は寺子屋の例があるように、町村内の教育や福祉、催事などを行う、地域コミュニティーの重要な拠点だったのだと思います。そのことを示すように、植物には、お寺に由来する和名を持つものがいくつもあります。ツリガネソウ(釣鐘草)、ホウチャクソウ(宝鐸草)、マツムシソウ(松虫草)、クリンソウ(九輪草)、ホトケノザ(仏の座)、ケマンソウ(華鬘草)類、そしてワニグチソウ(鰐口草)などです。
例えば、ツリガネソウですが、フウリンソウともいいます。言わずとも分かるでしょうが、お寺の釣り鐘にちなんで和名が付けられました。
カンパヌラ メディウムCampanula mediumキキョウ科ホタルブクロ属。この植物では、サカタのタネがいくつもの革新的育種に成功しています。本来二年草だった、この植物の一年草化に成功したり、鉢物用に向く、わい性コンパクトな品種などを育成したり、この植物でもサカタのタネは、世界一ともいわれる育種技術と品種を持っています。写真は、カンパヌラ アピールという、コンパクトな品種群です。それは、花持ちと開花持続性が素晴らしい品種です。
私は、この植物のツリガネソウという名前に異論はありません。でも、現代品種のツリガネソウは、花が上に向くように改良されていて、釣り鐘と上下が逆になっていることを指摘しておきます。
もう一つ仏具と植物の名前の関連を記しておきます。例はホウチャクソウです。漢字で宝鐸草と書きます。宝鐸とは、風鈴の原型になった青銅製の鳴り物です。お寺において本堂の四隅や灯籠のひさしにつるされ、風で音を奏でます。この宝鐸から。植物のホウチャクソウの名前が付きました。それは、秀逸なネーミングだと思います。
さて、神仏の周辺には、たくさんの鳴り物があります。神社でお参りをして、お願い事をするときには、まずちょうずで自らを清め、ガラガラ(本坪鈴)でおはらいをして神様に来意を伝えるのです。
お寺にも、仏様に自らが来たことを伝える道具があります。ガラガラの鈴とは形態が違い、鰐口(わにぐち)と呼びます。それは、釣り鐘、木魚、錫杖(しゃくじょう)などで音を出し、神仏の演出を執り行うもので、梵音具(ぼんおんぐ)の一つです。
鰐口は、仏堂正面の軒先に掛けられていて、金属製。シンバルを二つ重ね合わせた形状をしていて、下半分に口が開いています。その開口部はワニの口のように大きく開いているので、鰐口といわれるのでしょう。その正面をたたいて音を出し、仏様にお願いをする道具です。
お寺の鰐口にちなむのがワニグチソウです。それは、日本全土に広域分布する割には、知っている人は少ない気がします。おまけに新緑の中で、隠れるように生息するために、その存在にあまり気が付かないのかもしれません。
ワニグチソウPolygonatum involucratum(ポリゴナム インボルクラツム)キジカクシ科ナルコユリ属。種形容語のinvolucratusは、総苞(ほう)・苞葉(ほうよう)がある、覆いがあるという意味です。二つ並んだ筒状の花の上に、ワニが口を開けたような総苞があるのが確認できます。
属名のPolygonatumとは、根に多くの結節があるという意味です。写真はナルコユリ属のナルコユリの根茎を示しました。学名の示すところがよく分わると思います。
ワニグチソウは、草丈30cm程度。花や総苞も緑色をしているので、忙しく林を歩き回るだけでは、目に留まりにくい植物です。日本全土の丘陵地の林に原生するのをはじめ、朝鮮半島~中国東北部に生える東アジアの植物です。恐らく、大陸から日本に分布を広げた植物でしょう。
ワニグチソウは5~6月、低山自然の林で見ることのできる妖精みたいな植物です。半開の大きなワニの口みたいな2枚の総苞(花を保護する葉)に抱かれ、下膨れの筒状花を2個下向きに咲かせます。花の大きさは2cmぐらい、筒状花の先端は6個に分かれています。
初夏の林でワニグチソウに出合えたら、それはとても幸運な出来事だったと思います。まれにしか生えていない植物であり、一面、緑の草むらに緑色をした花を付ける、小さな草ですから、ワニグチソウは、その存在を知っている人にだけ、その姿を見せてくれるでしょう。
次回は「湿原のランラン トキソウとサワラン」です。お楽しみに。