小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
マンテマ属[その3] マツモトセンノウとフシグロセンノウ
2023/07/04
センノウゲ、ガンピなどと同様に、古い時代から園芸で親しまれてきたマツモトセンノウ。この植物もまた、ルーツがよく分からないセンノウ類たちの一つです。
マツモトセンノウSilene sieboldii(シレネ シーボルディー)ナデシコ科マンテマ属。種形容語のsieboldiiは、あのシーボルトにちなみますが、この植物に学名を付けたのは、ベルギーの園芸家Louis Benoît van Houtte(ルイ・ブノワ・ヴァン・ホウテ 1810-1876)です。彼は、財務省の仕事の傍ら植物を愛好し、研究した人物です。彼による学名の命名の経緯はつまびらかではありませんが、ホウテ氏の生きた時代から想像すると、江戸時代の日本で栽培されていたマツモトセンノウがシーボルトの目に留まり、ヨーロッパに持ち込まれたのだと思います。
一方で、シーボルトの著作である『日本植物誌』には、マツモトセンノウの記述がありません。そして、以前お伝えしたように、そこに記述されるセンノウゲに関する情報に矛盾がありました。 『日本植物誌』に載る図版は、センノウゲの形態を表しているのですが、その説明はマツモトセンノウSilene sieboldiiに符合するのです。シーボルトは、センノウゲについて誤認していた可能性が高いのです。
マツモトセンノウは、江戸時代から続く園芸植物の一つだったようです。では、その母種は、何なのでしょうか?幾つかの説があります。
①日本の阿蘇地域に生息するツクシマツモトSilene sieboldii var. spontaneaの栽培種という説
②大陸に生息するチョウセンマツモトSilene cognataの栽培種が日本に持ち込まれたという説
③東アジア東部に生息するSilene banksiaの園芸品種という説
さまざまな情報や説が錯綜(さくそう)していて、にわかに結論は出せません。マツモトセンノウや園芸種のセンノウ類のルーツは、論文レベルの研究テーマになりそうです。
マツモトセンノウという和名もくせ者です。これは、長野県松本市には何の関係もありません。マツモトという名は、江戸時代から綿々と続く歌舞伎役者の名跡である、松本幸四郎が由来だというのです。
その定紋である四つ花菱(はなびし)が、この花に似ているので通称をマツモトというと説明されています。四つ花菱紋は、4枚花弁の花が四つデザインされているものです。このマツモトセンノウの花弁は5枚だし、もうめちゃくちゃです。
とはいえ、古典的な園芸品種のマツモトセンノウには、赤花、白花、銅葉(どうば)、赤絞り花などの品種があり、その育種レベルは相当に高いものです。日本の古典園芸は、戦乱や社会の構造変化によって、失われたものはたくさんありました。このマツモトセンノウが、今に伝えられているのは幸運なことです。
マツモトセンノウは種子をよく付け、よく発芽することから複雑な種間雑種ではなさそうですが、その成り立ちの由来は不明というしかありません。マツモトセンノウの茎は直立し、丈はあまり高くなく30~50cm程度です。葉は対生し、有毛。花弁は5枚、縁が大きく二つに切れ込むハート型です。開花期は早く5~6月、センノウ類の中で特に赤い花色を持ちます。
由来や来歴が不明な大きなセンノウ類たちの中で、野生種であることが明確に判断できて、日本のほとんどの地域で普通に見られるのが、フシグロセンノウです。多くの方は、その明るい朱色の花を夏の山地で見たことがあると思います。
フシグロセンノウSilene miqueliana(シレネ ミケリアナ)ナデシコ科マンテマ属。種形容語のmiquelianaは、オランダのアムステルダム大学の植物学教授Friedrich Anton Wilhelm Miquel(フリードリッヒ・アントン・ヴィルヘルム・ミクェル 1811–1871)に、ちなんでいます。彼はプラントハンターが収集した標本を元に、多くの種属に学名を記載したことで知られています。
真夏に低山の森を歩くと、フシグロセンノウたちがそこかしこに咲いている景色に出会います。こんな景色は、世界でも日本でしか見ることができません。なぜそんなことを断言できるかといえば、フシグロセンノウが日本に固有のセンノウだからです。
森には、さまざまな緑があります。緑の反対色は赤です。当然、赤にもさまざまな赤があり、フシグロセンノウの色合いは黄を帯びた明るい朱色。不思議な色合いです。英語でvermilion(バーミリオン)といったら海外の方にも伝わると思います。このふっくらとした丸い花弁、凜(りん)としたいでたち。ガーデンセンターにフシグロセンノウの苗が並ぶと「茶花にする」と言って、買い求める人たちが多いです。
フシグロセンノウは、本州、四国、九州の低山の林縁に生える植物ですが、意外と暗い林床や木陰などでも見ることがあります。草原など明る過ぎる場所や乾いた尾根筋にはなく、沢筋など湿った土壌が好きなようです。短命な宿根草ですが、種子で増えるので、さまざまな形質が現れます。丸い花弁、細い花弁、濃い花色、薄い花色など多様な形質があります。
フシグロセンノウの花は、縁に裂け目がなくフラットな丸い花弁。花の大きさは4~5cm。茎は直立し葉は対生。茎は上部でわずかに分枝します。このフシグロセンノウの鑑定は簡単です。漢字で「節黒仙翁」と書く名前の通り、節が黒いのです。センノウの特徴を持った、大きな朱色の花を付け、節が黒ければフシグロセンノウで間違いありません。
次回は、マンテマ属をいったんお休みして「ハマゴウ属[前編]」です。お楽しみに。